家系調査の傍ら訪ねた日本各地の文化財・名所・旧跡などを、四季折々の写真とともに紹介しています。毎月20日前後に更新しています。写真をクリックすると拡大表示されますが、サイズが大きめに設定されています。800×536px 300〜700KB
三菱一号館美術館 - 東京都千代田区丸の内 -
三菱一号館美術館は、丸の内のオフィスビルの一角に建つレトロな洋館です。この建物は、昭和43年(1968)に解体された旧三菱一号館のレプリカで、明治期の設計図面、保管部材、写真資料などから忠実に復元され、平成22年(2010)4月三菱一号館美術館としてオープンし、丸の内の新名所となっています。三菱一号館は、明治27年(1894)丸の内に初めて誕生したオフィスビルでした。クイーン・アン様式を用いた赤煉瓦造りの建物で、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計により建設されました。この後にロンドンのロンバード街にならい、赤煉瓦の建物が次々と建てられ、この周辺は一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになりました。丸の内は今日でも日本を代表するオフィス街ですが、近年都心部でも最も変貌を遂げつつある地域と言えるでしょう。東京駅前の丸ビル(2002年竣工)、新丸ビル(2007年竣工)とも高層ビルに生まれ変わり、何より東京駅丸の内駅舎が建設当時の姿へ戻すため、復元工事(2012年6月竣工予定)を進めています。東京駅と皇居を結ぶ行幸通りも平成22年(2010)4月に歩道兼馬車道として開放されました。そんな丸の内仲通りオフィス街の夜、大手町〜有楽町約1.1kmの街路樹約220本がシャンパンゴールドに彩られる丸の内イルミネーション(2011年11月10日〜2012年2月19日)が催されています。少し寒い季節ですが、夜空が黒く引き締まる冬季は、イルミネーションとのコントラストが引き立ち、日中と違った光景を楽しむことができます。丸の内では毎年に開催されていますが、光都東京・LIGHTOPIA2011など短期間で終わってしまうものもありますので、12月に入って開催状況を調べてから訪れるのがいいでしょう。 上:三菱一号館美術館 … 高層ビルの中にレトロな煉瓦造り 中:丸の内仲通りの丸の内イルミネーション … シャンパンゴールドのLEDに彩られた街路樹 下:光都東京・LIGHTOPIA2011 … 「絆と希望、そして未来へ」というテーマ 年末のみ開催 写真:2011年12月26日撮影 ○ 地図 ○ 三菱一号館美術館 ○ 丸の内イルミネーション ○ 光都東京・LIGHTPIA ○ 東京駅丸の内駅舎保存復元工事-鹿島 2012-01-20
厳島神社(世界文化遺産・日本三景) - 広島県廿日市市宮島町 -
宮島は、松島(宮城県)・天橋立(京都府)とともに、古くから日本三景の一つに数えられています。 厳島(いつくしま)神社は、海の上に社殿、廻廊を巡らした独創的な建築物で、平家の氏神としても知られている日本屈指の名社です。満潮時に海上に浮かんだその姿は、瀬戸内海の青、宮島の緑と混然となり、竜宮城を思わせる美しさです。本殿、平舞台、高舞台など六棟の建物が国宝に指定されているほか、数多くの文化財を擁しており、平成8年(1996)12月、世界文化遺産に登録されました。 厳島神社は、推古元年(593)、佐伯鞍職(さえきのくらもと)によりの創建されたと伝えられます。仁安3年(1168)には平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営し、全て完成するまでに数年が費やされたと言われています。 鎌倉時代から戦国時代にかけて荒廃した時期がありましたが、弘治元年(1555)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が、当社を支配下に置き庇護したことから、再び隆盛しました。 社殿が海上に張り出しているため、海水による腐食や台風・高潮の被害をたびたび受けることがありますが、そのたびに大規模な修復を行って現在の姿を維持しています。 この神社の美しさは海に浮かんでいる時に勝るものはありません。参詣される時は、天気や潮時を事前に調べ、満潮時に合わせて参詣されることをおすすめします。下のリンク、宮島観光協会のサイトに年間潮汐表が掲載されています。 上:海上から見る厳島神社 中:廻廊から見る大鳥居(重要文化財) 満潮時なら海に浮かんだ鳥居が見られる 下:本殿 平舞台・高舞台ともに国宝に指定されている 写真:2010年08月13日撮影 ○ 地図 ○ 宮島観光協会 ○ 宮島観光公式サイト ○ NHK大河ドラマ「平清盛」 2011-12-20
記念艦「三笠」 - 神奈川県横須賀市稲岡町三笠公園 -
「三笠」は、明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦で、日露戦争(1904-1905)の時、東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として活躍しました。明治38年(1905)の日本海海戦では、連合艦隊はロシアのバルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ち、海戦史上例を見ない圧倒的な勝利を収めました。この「三笠」が、現在横須賀市の三笠公園に記念艦として保存されています。 日露戦争は、帝政ロシアの極東進出により存亡の危機に立たされた日本が、国民の総力を合わせて戦い抜いた防衛戦争でした。この戦争で大国ロシアに勝利した日本はロシアの脅威から解放され、国際的な評価を高めました。また当時列強諸国に抑圧されていた国々に自立の希望を与えることにもなりました。 「三笠」は、大正12年(1923)に現役を退き、現在の地に記念艦として保存されましたが、太平洋戦争後、占領軍の命令により、大砲、マスト、艦橋などが撤去され、見る影もなく荒廃しました。その後、復元の声が内外で高まり、募金、政府の予算、アメリカ海軍の支援により、昭和36年(1961)現在の姿に復元されました。この日露戦争を舞台としたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第三部が2011年12月4日〜25日まで放映されます。 記念艦「三笠」のある三笠公園は、「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれた公園です。「水と光と音」をテーマに音楽に合わせて舞う噴水や、ダイナミックな壁泉、高さ18メートルのモニュメント、園内を流れるせせらぎが、訪れるひとびとに安らぎを与えています。音楽噴水の演奏は1時間30分置きですが、あらかじめ演奏時刻を調べておいた方がいいでしょう。 上:記念艦「三笠」 中:東郷平八郎が指揮した最上艦橋 加藤参謀長、伊地知艦長、秋山参謀等の足跡の印あり 下:中甲板に並ぶ15cm砲 マストの上にZ旗が掲げられている 写真:2009年03月29日撮影 ○ 地図 ○ 記念艦「三笠」 ○ NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 2011-11-20
日本一美しい白樺群生地 - 長野県南佐久郡佐久穂町八千穂高原 -
八千穂高原は北八ヶ岳の東麓に広がる高原です。ここには、約200haの敷地に50万本の白樺が自生し、その白樺林の美しさは日本一とうたわれています。白樺ばかりではなく、ヤマツツジ、ミツバツツジ、レンゲツツジ、ドウダンツツジの群生地としても有名で、花の季節には白樺とのコントラストが見事です。 春の新緑から始まり、ツツジの花が開き、白樺、ミズナラ、カラマツの緑が深まり、紅葉の季節には高原一面が黄金色へ染まり、やがて白銀の世界を迎えます。まさに飽きることのない四季折々の美しい光景の中心に、いつも広大な白樺の森が輝いています。 白樺林の中の遊歩道、白樺林に囲まれたキャンプ場、白樺林群生地に隣接する八千穂レイクを散策すれば、自然と森林浴を満喫することができます。隣接する八千穂レイク管理釣り場は、ルアー・フライフィシングのための釣り場です。ニジマスが釣れるようですが、キャッチ&リリースが原則です。湖の周りは遊歩道として整備されています。 スキー・スノーボードの好きな方は、標高1600m最上級のパウダースノー、八千穂高原スキー場へお越しください。 上:日本一美しい白樺群生地 中:自生する白樺の木 下:八千穂レイク管理釣り場 写真:2011年10月09日撮影 ○ 地図 ○ 八千穂高原&古谷渓谷 ○ 長野県佐久穂町 2011-10-20
会津藩校 日新館(復元) - 福島県会津若松市河東町 -
会津藩校「日新館」は、会津藩が享和3年(1803)に設立した、文武の両教科を教授する総合学校でした。「日新館の教育目標は、人材の育成」という藩の方針のもとに、上士以上の藩士の子弟は全て入学が義務付けられました。当時は、鶴ヶ城(つるがじょう)の西側に隣接し、その規模は、東西約120間、南北およそ60間、敷地内に水練場や天文台までも備え、全国に数ある藩校の中でも屈指の教育機関でした。この「日新館」が完全復元され「會津藩校 日新館」として、会津若松市河東町に開設され、博物館、研修・宿泊施設などが設けられ、各種武道団体の練習や合宿にも利用されています。日新館の創設は、5代藩主松平容頌の時、家老田中玄宰が藩政改革を進言し、その中心に「教育の振興」をあげたことがのきっかけとなりました。建設資金の大半は、呉服商を営む大商人須田新九郎が負担し、5年の歳月を費やし完成しました。日新館は、今日でも、会津人の高潔な精神文化を伝える象徴的な施設といえるでしょう。会津藩は幕末、徳川将軍家へ忠義を尽くすため京都守護職を拝命しました。そのため戊辰の役では朝敵とみなされ、過酷な状況に置かれるようになりました。幕末は、維新回天の志士の活躍ばかりが注目されがちですが、将軍家へ忠義を尽くした会津の人々の歴史も正しく伝承すべきことです。会津地方はこれから絶好の観光シーズンを迎えます。東北地方では東日本大震災後の風評被害の影響がまだあるようでが、福島県はとても広く、会津地方は太平洋側から遠く離れています。史跡もよく、磐梯山、猪苗代湖など自然環境にも恵まれ、喜多方ラーメンや郷土料理も楽しめ、漆器や陶器も優れています。これからの季節、是非お出かけください。 上:會津藩校 日新館 中:長い白壁が続き、その広さに驚かされます。 下:敷地内に多くの建物が復元されています。 写真:2008年06月04日撮影 ○ 地図 ○ 會津藩校 日新館 ○ 会津若松観光ナビ 2011-09-20
SLやまぐち号 C571 - JR山口線 -
SLやまぐち号は、JR山口線の新山口駅〜津和野駅の62.9kmを走るC57形蒸気機関車です。国鉄の近代化・合理化により、山口線からは昭和48年にSLが姿を消すことになりました。その後、多くのSLファンや地元市町村を中心にSL復活への気運が高まり、昭和54年山口線にSLが復活することになりました。今では沿線の風景としてすっかり定着しています。C57形蒸気機関車は昭和12年(1937)から201両製造されました。近代蒸気機関車の傑作機の一つとされ、細いボイラーと大きな動輪の組み合わせは、スタイル全体のバランスがよく、「貴婦人」の愛称で親しまれてきました。このC57形の第1号機が山口線を走るC571号機です。日本全国で、SLが運行されている区間はいくつもありませんが、老朽化した車両を維持するのはたいへんな苦労があるようです。SLはまさに走る文化財といえるでしょう。運行期間がありますので、SLやまぐち号でご確認ください。 上:山口市街を黒煙を上げて疾走する 下:山口駅を出発し椹野川沿いを行く 写真:2010年08月16日撮影 ○ SLやまぐち号 ○ JR西日本 2011-08-20
鹿屋航空基地史料館 - 鹿児島県鹿屋市西原 -
鹿屋航空基地史料館は、海上自衛隊鹿屋航空基地内に設けられた史料館です。ここには、過去の貴重な資料が集められ、旧日本海軍航空隊の興亡の軌跡と、戦後の海上自衛隊航空部隊の歩みを展示しています。国を守ることについて理解しやすいように、一般市民へ公開されるとともに、 海上自衛隊活動状況の関連資料を教材として、隊員教育へも役立てられています。 鹿屋基地は昭和11年(1936)に鹿屋海軍航空隊として開隊し、昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦から、昭和20年(1945)の終戦まで海軍の航空基地として使用されました。戦争の末期、昭和20年2月からは特攻作戦が開始され、70隊445機、828名の若者がここから出撃しました。 終戦後は警察予備隊の発足に伴い、昭和25年(1950)に鹿屋駐屯部隊が開隊され、以後保安隊、警察予備隊を経て、昭和29年(1954)海上自衛隊鹿屋航空隊と改称されました。平成元年(1989)に第1航空隊にP-3C 哨戒機が配備され、哨戒を行う主力部隊として重要な任務を行っており、現在ソマリア沖・アデン湾における海賊対処活動にも派遣されています。 史料館の敷地内にはところ狭しと航空機が展示されています。どれも、貴重な展示物だと思いますが、取り分け重要な航空機は館内に展示された、零式艦上戦闘機52型の復元機だと思います。館内では、ここだけ写真撮影が許可されています。また、特攻作戦に関する資料展示もあり、出撃した若者の写真が壁いっぱいに展示され、その数の多さには言葉を失うほどです。 日本の戦史や海上自衛隊の活動を正しく知る上でも、大隅半島に来たときは、鹿屋航空基地史料館を是非訪ねていただきたいと思います。史料館の職員の方はみな親切で、誇りを持ってこの任務にあたっているように感じました。拝観は無料となっています。 上:鹿屋航空基地史料館外観 中:屋外に展示された航空機…引退した航空機全15機 下:零式艦上戦闘機52型(復元)…ここだけは写真撮影可能 写真:2011年06月16日撮影 ○ 地図 ○ 海上自衛隊 鹿屋航空基地 ○ 鹿児島県鹿屋市 2011-07-20
金刀比羅宮 (重要文化財) - 香川県仲多度郡琴平町 -
讃岐の「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう)は、琴平山に鎮座する神社です。祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、相殿(あいどの)に崇徳(すとく)天皇が合祀されており、海上交通の守り神として全国の信仰を集めています。 金刀比羅宮の由緒については一つではありませんのでここでは詳しく取り上げませんが、江戸時代は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の寺社であり、明治元年(1868)の神仏分離令で神道の神社となりました。長く続く参道の石段は有名で、はじめはなだらかですが、土産物屋を両目に見ながら石段を登り始め、大門までは365段、旭社までは628段、本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなります。本宮の北東側の展望台(海抜251メートル)からの眺望は素晴らしく、天候に恵まれれば、讃岐富士(飯野山)や遠く瀬戸大橋を望むことができ、苦労して参詣した疲れを癒してくれるでしょう。 参詣の際は長い階段を登ることになりますので、体力に自信のない方は無理をせず、休みながらゆっくり登るように心がけましょう。
上:桜馬場の石畳 中:御本宮 下:高台(展望台)… 海抜251m 写真:2010年04月21日撮影 ○ 地図 ○ 金刀比羅宮 ○ 香川県琴平町 2011-06-20
旧中込学校 (長野県宝・重要文化財・国史跡) - 長野県佐久市大字中込 -
旧中込学校(きゅうなかごみがっこう)は、現存する洋風学校建築物としては日本最古のものです。設計・施工は、アメリカで建築技術を学んだ下中込村出身の市川代治郎によるもので、明治8年(1875)に建てられました。 校舎は佐久郡下中込村、今井村、三河田村の組合立小学校の成知学校として計画され、総工費は6,098円51銭8厘は、下中込村篤志者の寄付により賄われました。 中央の八角塔から太鼓を吊し時を告げた事から「太鼓楼」と呼ばれ、また建築当時珍しかったガラスを使用したため「ギヤマン学校」とも呼ばれ、各地からの大勢の見学者が訪れたといわれています。 昭和41年(1966)長野県宝、昭和44年(1969)には国の重要文化財・国史跡に指定され、史跡内にはサクラやフジの古木があり、隣接する公園には「高原のポニー」として親しまれたC56型蒸気機関車が展示されています。また併設された資料館では、学校教育資料を中心に展示を行っています。 浅間山を程よい距離から望む佐久市は、上信越自動車道の開通、長野新幹線佐久平駅の開業で、とても便利になりました。東は軽井沢方面、西は諏訪・蓼科方面、南は八ヶ岳・清里方面、北は小諸市方面へと交通の要衝の地にあたります。高原へ避暑に行くとき立ち寄って散策するのもいいでしょう。 ちなみに佐久の名物は鯉料理、蕎麦もおすすめです。グルメガイドは下記「佐久観光協会」のサイトをご参照ください。 上:旧中込学校(正面)…建物前にかかる電線は消してあります。中:旧中込学校(南面)下:佐久市街から浅間山写真:2009年04月23日撮影○ 地図○ 佐久市観光協会○ 佐久市2011-05-20
根尾谷淡墨桜(国指定天然記念物) - 岐阜県本巣市根尾板所 -
本巣市薄墨公園にある淡墨桜は、樹齢1500余年、高さ16.3m、幹周り9.9mという古木です。日本国内には桜の名所がたくさんありますが、その中でも、三春滝桜(福島県)、山高神代桜(山梨県)、根尾谷淡墨桜は、日本三大桜と呼ばれています。淡墨桜の名は、蕾のときは薄いピンク、満開になると白色、散りぎわには淡い墨色に変化することに由来します。 淡墨桜には継体天皇のお手植えとされる伝承があります。五世紀の中頃、安康天皇が没すると皇位継承をめぐり大和朝廷に争いが起こりました。市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ・継体天皇の祖父)は大泊瀬幼武王(おおはつせわかたけのみこと・後の第21代雄略天皇)に謀殺され、市辺押磐皇子の二皇子、億計(おけ・仁賢天皇)・弘計(おけ・後の顕宗天皇)の二皇子は尾張国へ逃れ、苦難に満ちた30余年を過ごしました。弘計王は尾張で男大迹王(おおとのみこ・後の継体天皇)を儲けますが、男大迹王は雄略天皇の執拗な探索をおそれて、美濃の根尾に隠れ住みました。29歳の時、大和朝廷に迎えられ継体天皇に即位することになりますが、この地を去るにあたり形見としてこの桜を植え、次の歌と共に残されたと伝えられています。 身の代と遺す桜は薄住よ 千代に其の名を栄盛(さか)へ止(とど)むる 淡墨桜は、樹齢1,500年を越えても今なお美しい花を咲かせ人々を和ませてくれます。このコラムをご覧になっていただくころには花の盛りは過ぎていると思いますが、いつの日か日本三大桜の淡墨桜を訪ねていただきたいと思います。 ところで、根尾谷には有名なものがもう一つあります。それは「根尾谷断層」です。明治24年(1891)に根尾村を震央として発生した濃尾地震(マグニチュード8.0)の震源断層で、こちらも国指定の特別天然記念物となっています。 折しも東日本大震災から一か月が過ぎましたが、被災地の一日も早い復興を祈るばかりです。 写真:2011年04月14日撮影 ○ 地図 ○ 本巣市観光協会○ 本巣市 Webサイトから淡墨桜の現在のライブ映像がご覧になれます。2011-04-20
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