小江戸川越 蔵造りの町並み(重要伝統的建造物群保存地区) - 埼玉県川越市 -
川越の市街地には「蔵造りの町並み」が残され、江戸時代から伝わる町家の独特な風情を感じることができます。蔵造りは火災の類焼を防ぐための耐火建築として発達したものです。蔵造りゾーンでは、美観を損なう街路の電柱は撤去され、重厚な造りの商家が軒を連ねる町並みが整備されました。1999年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、2007年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれました。川越は古くより交通の要衝で、平安から鎌倉時代にかけては豪族河越氏が館を構え、室町時代には太田道灌によって河越城が築城されました。江戸時代には、川越藩の城下町でしたが、江戸幕府の北の守りとして、また豊富な物資の供給地としてとして重要視され、大老・老中クラスの重臣が藩主となりました。新河岸川を利用した舟運により江戸との物流が盛んとなり商工業が栄え、武蔵野の開発により栽培された狭山茶や川越の芋は今でも有名です。江戸とのつながりが深かった川越は小江戸とも呼ばれ、川越の代名詞として使われています。川越の観光マップは、蔵造りの町並みを中心とする「蔵造りゾーン」、喜多院を中心とする「喜多院ゾーン」、市立博物館を中心とする「博物館ゾーン」に分かれています。小江戸川越観光協会から地図やパンフレットをダウンロードできますから、あらかじめ準備しておくといいでしょう。川越は、どの道も自動車の交通量が多いので、歩行には十分注意してください。 上:時の鐘…小江戸川越の代表的スポット中:蔵造りの町並み…重厚な蔵造りの商家が並びます。自動車に注意しましょう。下:蔵造り資料館…蔵造りの商家を利用した資料館写真:2011年03月11日撮影 ○ 地図 ○ 小江戸川越観光協会○ 蔵造り資料館 2011-03-20
小石川後楽園 (特別史跡・特別名勝) - 東京都文京区後楽 -
黄門様のお庭として知られる小石川後楽園は、寛永6年(1629)水戸徳川家初代頼房(よりふさ)が中屋敷(後の上屋敷)として造ったもので、二代光圀(みつくに)の時に完成した庭園です。後楽園の名は、光圀が招聘した明国の儒学者朱舜水の命名によるとされ、造園に際しても舜水の意見を取り入れ、随所に明国の趣を感じることができます。後楽園というと東京ドームを思い浮かべる方が多いと思います。小石川後楽園は東京ドームの西隣に位置し、面積は約71平方メートルで東京ドームの約1.5倍、数字で見たところそれほど広くはありませんが、実際に庭園内を散策してみると、多くの築山が築かれ、変化に富んだ回遊コースは、この広さをを倍ほどに感じさせるものがあります。都心の一角にこのような大名庭園が残されていることはたいへん貴重であり、まさに都内屈指の庭園といえるでしょう。小石川後楽園では、「春を呼ぶ小石川後楽園 黄門様のお庭で梅まつり」2011年2月5日(土)〜2月27日(日)が催されています。詳しくは、「公園へ行こう!」(東京都公園協会)のサイトをご覧ください。 上:円月橋…庭園の中で代表的な見どころの一つ中:内庭…東京ドームのすぐ隣とは思えない静寂さ下:小盧山頂…東京ドームシティ方面の眺望写真:2010年11月12日撮影 ○ 地図 ○ 「公園へ行こう!」(東京都公園協会)○ 文京区観光協会 2011-02-19
関ケ原古戦場 (国指定史跡) - 岐阜県不破郡関ヶ原町 -
「関ケ原」は日本人ならだれでも耳にしたことのある地名の一つです。関ケ原の合戦は、慶長5年(1600)9月15日、石田三成率いる西軍と、徳川家康率いる東軍が、この一帯でを繰り広げた天下分け目の戦いです。この日の朝8時、霧が薄くなった頃に始まった戦いは、笹尾山を中心に有利な地を占めた西軍がやや優勢のまま推移しましたが、午頃、小早川秀秋の裏切りを機に、脇坂、朽木などの諸隊も寝返り、戦局は一変しました。側面を突かれた西軍の大谷吉継隊は支えきれず吉継は自刃して果て、死闘を繰り広げていた小西行長隊、宇喜多秀家隊、石田隊も次々敗走、勝敗は決しました。 この戦いで、その実力を天下に示した徳川家康は、慶長8年(1603)征夷大将軍に任命され江戸幕府を開きました。豊臣家が大阪の陣で滅びるのは、関ケ原の合戦の15年後、慶長20年(1615)のことです。 2011年のNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」が始まりました。織田〜豊臣〜徳川へと変遷する時代が舞台となっています。今後の物語の展開か楽しみですが、関ケ原古戦場もすこしはスポットがあたるのでしょうか。 さて、関ケ原や伊吹山周辺の日常は、自然が豊かで四季折々の美しい景観を楽しむことができます。関ケ原観光Webでは、モデルコースも紹介されています。広大な戦場めぐりはハイキングの準備が必要です。冬季は雪の降る日が多いようです。観光は春になってからがおすすめです。 上:関ケ原合戦 決戦地中上:笹尾山 石田三成陣跡中下:笹尾山より南宮山方面の展望下:桃配山 徳川家康最初陣跡写真:2010年05月12日撮影 ○ 地図 ○ 関ケ原観光Web ○ 関ケ原町 ○ NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」 2011-01-20
水木しげるロード - 鳥取県境港市大正町 -
今年を代表するはやり言葉に贈られる「ユーキャン新語・流行語大賞」の年間大賞に、NHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で話題になった「ゲゲゲの〜」が選ばれました。境港市は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家・ 水木しげる氏のふるさとです。 水木しげるロードは、JR境港駅から東にのびるメインロードで、道沿いには100体以上の妖怪ブロンズ像が配置されています。その像は実に精巧に作られており、漫画のキャラクターを思い出しながら一体一体見て歩くのは楽しいものです。 ブロンズ像ばかりではありません。街灯は目玉おやじ、境港-米子間には「鬼太郎列車」が走り、境港-隠岐の島 間には「鬼太郎フェリー」が運行されています。ここはまさに鬼太郎の街なのです。 境港市は三方を海に囲まれ、日本海側における重要港湾として栄えてきました。水産資源は豊富で、境漁港は昭和48年(1973)には特定第三種漁港(全国約3千漁港のうち13港のみ)の指定を受けました。平成4年(1992)か ら平成8年(1996)まで、5年連続で水揚高日本一を記録しています。 境港市の観光の柱は「さかなと鬼太郎」ですが、周辺地域には観光資源も多く、伯耆(ほうき)の大山、皆生(かいけ)温泉の米子市、安来(やすぎ)節と足立美術館の安来市、大根島の牡丹、宍道(しんじ)湖と松江城の松江市、少し足を延ばせば出雲大社、日御碕(ひのみさき)など、さまざまな観光名所を楽しむことができます。 上:豆腐小僧/中:ゲゲゲの鬼太郎の塔/下:河童の泉写真:2009年11月18日撮影 ○ 地図○ 境港市観光ガイド ○ 鳥取県観光情報○ 松江観光協会2010-12-20
総本山長谷寺 (国宝) - 奈良県桜井市初瀬 -
総本山長谷寺(はせでら)は真言宗豊山(ぶざん)派の総本山で、山号を豊山、寺号を長谷寺、正式には豊山神楽院長谷寺と言います。 朱鳥元年(686)道明上人は、天武天皇のために銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置し、その後神亀4年(727))徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、東の岡に十一面観世音菩薩を奉祀し創建されました。 国宝の本堂をはじめ、重要文化財の登廊など数多くの貴重な寺宝・文化財を所持しています。参道を進み、仁王門をくぐると、見上げるような登廊(のぼりろう)の前に立ちます。登廊は屋根つきの石段で仁王門から本堂まで399段あります。長谷寺は、牡丹の名所として有名ですが、 他にも桜、あじさい、寒牡丹など、 四季を通じ「花の御寺」として知られており、全国から参詣者が絶えることがありません。また秋の紅葉も見逃すことができません。2010年10月16日(土)から12月12日(日)まで「もみじまつり」が催されています。詳しくは総本山長谷寺HPをご覧ください。上:長谷寺正面 中:本堂(国宝)下: 登廊(重要文化財)写真:2010年06月02日撮影 ○ 地図○ 総本山長谷寺 ○ 奈良県桜井市観光情報サイト○ 平城遷都1300年祭 2010-11-20
石舞台古墳 (国特別史跡) - 奈良県高市郡明日香村 -
石舞台古墳は(いしぶたいこふん)は、わが国最大の方墳で、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓(6世紀末〜7世紀前期)と伝えられています。30数個の花崗岩に囲まれ、その総重量は約2300トンと推定されています。特に天井石は約77トンもの重量で、古代に優れた土木・運搬技術があったことがわかります。盛土の上部は完全に失われ、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しており、上面が広く平らで舞台のように見える形状から「石舞台」と呼ばれるようになりました。舞台というより巨大なカブトムシのような形をしていますね。古墳の周りには遊歩道がつくられ、石室の中に入って見学することもできます。飛鳥歴史公園は豊かな自然にも恵まれ歴史散歩には最適な場所です。レンタルサイクルやおすすめコースも準備されています。自転車・徒歩で移動した場合の時間と消費カロリーが、国営飛鳥歴史公園Webサイトで紹介されていますので、事前に調べてから出かけて見てはいかがでしょう。上:石舞台古墳 下:石室 写真:2010年06月02日撮影 ○ 地図○ 国営飛鳥歴史公園 ○ 奈良県明日香村2010-10-21
法隆寺 (国宝・世界文化遺産) - 奈良県生駒郡斑鳩町 -
法隆寺(ほうりゅうじ)は、聖徳宗総本山の寺院で、聖徳太子が創建した寺院として知られています。伽藍の一部は現存する世界最古の木造建築物であり、1993年に日本最初の世界文化遺産として登録されました。 境内は広さ約18万7千平方メートル、塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分かれており、飛鳥時代をはじめとする各時代の仏教建築物の傑作が軒をつらね、国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2,300余点に及んでいます。仏教伝来直後の貴重な仏教建築物が今日まで保存されてきたことはまさに驚くべきことです。 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺正岡子規が、松山から上京する途上、法隆寺で詠んだといわれる有名な句ですが、秋の斑鳩(いかるが)の里の情景が鮮やかに目に浮かぶようです。 法隆寺へは修学旅行で訪れたことのある方も多いと思いますが、平城遷都1300年祭のこの機会に、優れた仏教建築物をゆっくり訪ねてご覧になることをおすすめします。写真:2010年04月13日撮影 上:金堂(国宝) 中上:金堂・五重塔(国宝) 中下:夢殿(国宝) 下:西院回廊(国宝)
○ 地図○ 法隆寺 ○ 奈良県観光情報 大和路アーカイブ2010-09-20
唐招提寺 (国宝・世界文化遺産) - 奈良県奈良市五条町 -
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、律宗総本山の寺院で、鑑真大和上が開いた寺として知られています。日本から唐へ渡った留学僧、普照と栄叡は、日本に正式の伝戒の師がいないので、しかるべき高僧の招聘を鑑真に申し出ましたが、鑑真の弟子たちは渡航の危険などを理由に渡日を拒んだので、鑑真自ら渡日することを決意しました。命がけの渡航は6次にもわたり、苦難の末、来日が成功した時はもう66歳になっており、しかも失明していました。天平勝宝6年(754)難波津(大阪)に上陸した鑑真は、5年間を東大寺唐禅院に住し、天平宝字3年(759)、今の唐招提寺の地を与えられました。そして天平宝字7年(763)、波乱の生涯を日本で終えました。唐招提寺の南には薬師寺が隣接しています。一緒に参詣されることをおすすめします。写真:2010年06月01日撮影 上:金堂(国宝) 下:開山御廟 ○ 地図 http://www.its-mo.com/z-124820257-488836783-15.htm ○ 唐招提寺 http://www.toshodaiji.jp/ ○ 奈良県観光情報 大和路アーカイブ http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/ 2010-08-21
興福寺 (国宝・世界文化遺産) - 奈良県奈良市登大路町 -
興福寺(こうふくじ)は、法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の一つに数えられています。 藤原氏の祖、藤原鎌足の病気平癒を願い、夫人の鏡大王(かがみのおおきみ)が天智天皇8年(669)に創建した山背国の山階寺(やましなでら)が当寺の起源であり、壬申の乱後の天武天皇元年(672)に藤原京に移り、地名をとって厩坂寺(うまやさかでら)と改称し、更に和銅3年(710)平城遷都に際し、鎌足の子 不比等により現在地に移され「興福寺」と名付けられました。 天皇、皇后をはじめ、藤原氏によって次々に堂塔が建てられ、摂関家藤原北家との関係が深くかったことにより手厚く保護され、寺は隆盛しました。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国のほとんどを領するほどとなり、その強大な勢力は比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」(なんとほくれい)と称されるようになりました。 鎌倉・室町時代に至っても幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。 創建以来たびたび火災に見まわれ、その都度再建を繰り返してきましたが、治承4 年(1180)、平重衡の兵火による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しました。明治時代の廃仏毀釈でも興福寺は荒廃し、一時は廃寺同然となりましたが、その後の復興により徐々に整備され現在に至っています。 写真上は興福寺の南にある猿沢池の畔からのものですが、亀の甲羅干しがのどかな古都の風景を演出しています。しかし、この亀は全て外来種のミシシッピアカミミガメで、日本固有種の姿は見えません。日本の亀はどこへ行ったのでしょうか。 写真:2010年04月14日撮影 上:猿沢池から興福寺を見る 下:五重塔と東金堂(共に国宝) ○ 地図 http://www.its-mo.com/z-124847840-489011205-16.htm ○ 興福寺 http://www.kohfukuji.com/ ○ 奈良県観光情報 大和路アーカイブ http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/ 2010-07-20
薬師寺 (国宝・世界文化遺産) - 奈良県奈良市西ノ京町 -
薬師寺(やくしじ)は、法相宗大本山の寺院です。天武天皇9年(680)に天武天皇の発願により、はじめ飛鳥の地に造営されましたが、和銅3年(710)の平城遷都に伴い現在地に移されました。 本尊は薬師如来です。 当時は、南都七大寺の一つとして数えられ、金堂を中心として東塔、西塔、講堂、回廊が立ち並び、その大伽藍は壮美を誇りました。金堂や塔には、裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)状の構造物が設けられ、実際の階層より多層に見える建物の優美なすがたは「龍宮作り」と呼ばれ、人々の目を奪ったと言われています。天禄4 年(973)の火災と享禄元年(1528)の兵火で多くの建物を失いましたが、 国宝の東塔は今から約1300年前の白鳳時代のもので、幾多の災害に耐え今日まで伝えられています。 この東塔は、今年2010年秋から10年間にわたる本格的な解体修理に入り、しばらくの間お目にかかることができなくなります。この解体修理の前に、西面の扉を特別に開扉し、基壇上より初層内陣を参拝することができます。この機会に是非薬師寺をご参拝下さい。<薬師寺東塔特別開扉> 期間:2010年4月8日(木)〜10月31日(日)予定 時間:8:30〜16:30 詳しくは下記のリンクから奈良薬師寺公式サイトをご覧ください。
写真:2010年06月1日撮影上:東塔と金堂中:東塔(国宝・白鳳時代)下:東院堂(国宝・鎌倉時代) ○ 地図 http://www.its-mo.com/z-124795234-488833850-16.htm ○ 奈良薬師寺 http://www.nara-yakushiji.com/ ○ 奈良県観光情報 大和路アーカイブ http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/ 2010-06-19
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