平城京跡(特別史跡・世界文化遺産) - 奈良県奈良市 -
平城京(へいじょうきょう、へいぜいきょう)は、奈良時代の日本の首都です。条坊制により造営された都は、唐の都の長安を模倣したものといわれています。日本最初の中国式の条坊制により造られた都は藤原京(奈良県橿原市)ですが、元明天皇により和銅3年(710)平城京に遷都され、その後恭仁京や難波京への一時的な遷都はありましたが、桓武天皇が延暦3年(784)に長岡京(京都府)へ遷都するまでの74年間この地に都が置かれました。 平城京は、今年2010年で遷都されて1300年の節目に当たります。現在、平城宮跡を中心会場として「平城遷都1300年祭」が催され、この祭典を機に平城京跡は国営歴史公園となり、第一次大極殿正殿や遣唐使船が復原・公開されました。平城京跡は、本年4月はじめに放映されたNHK古代史ドラマ「大仏開眼」でロケ地となったり、「吉備大臣入唐絵巻」(国立奈良博物館で公開中)がNHKの番組で取り上げられたりしたためか、遣唐使吉備真備の人気は上昇し、当会場には平日でも多くの観光客や修学旅行の生徒が訪れ、たいへんなにぎわいとなっています。平城京歴史館など、列にならんで整理券を入手しなければ入場できない場所もあり、特定のフェアの期間中は一般駐車場が閉鎖され、公共交通機関の利用に制限される場合もあります。平城京跡会場を訪れるときは、事前に情報を入手してから出かけましょう。下記のリンクをご利用下さい。また、これからの季節は日射しが強く気温が高くなります。平城京跡会場は立木がなく日影がほとんどありません。帽子・日傘・水分補給用の飲み物なども持参したほうがいいでしょう。写真:2010年05月12日撮影 上:大極殿/中:朱雀門から大極殿を望む/下:朱雀門○地図 http://www.its-mo.com/z-124868986-488869643-14.htm○平城遷都1300年祭 http://www.1300.jp/○奈良県観光情報 大和路アーカイブ http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/2010-05-21
東大寺(国宝・世界文化遺産) - 奈良県奈良市雑司町 -
東大寺は、華厳宗大本山の仏教寺院で、奈良時代の中頃に聖武天皇の発願によって創建されました 。天平5年(733)に創建された金鍾寺(こんしゅじ)が東大寺の起源であるとされ、天平14年(742)大和国の国分寺と定められました。盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)が本尊とされ、奈良時代には大仏殿(金堂)を中心として大規模な伽藍が営まれました。仏像は青銅で鋳造され鍍金が施されていましたが、たびたび損傷を蒙りその都度修理され、両手は安土桃山時代、頭部は江戸時代のものとなっています。大仏殿は創建以来、治承4年(1180)、永禄10年(1567)に兵火にかかり、現在の建物は江戸時代に建立された三度目のもので、横幅が約三分の二に縮小されています。それでも木造建造物としては世界一の規模を誇る壮大なものです。大仏は、昭和33年(1958)に国宝、平成10年(1998)には、ユネスコより世界文化遺産(古都奈良の文化財のうち)に登録されました。本尊の盧舎那仏は、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とも呼ばれ、この名は釈迦如来の別名で、世界を 照らす仏・光り輝く仏の意味だそうです。「奈良の大仏」には世界中から観光客が訪れますが、奈良から世界平和を祈念しているのでしょう。奈良は今年、「せんとくん」のキャラクターが話題となった「平城遷都1300年祭」が開催されています。修築中の文化財もあるようですから、訪れる前に下調べをしておいたほうがいいでしょう。写真:2010年04月14日撮影○地図 http://www.its-mo.com/z-124868076-489033729-17.htm○華厳宗大本山東大寺 http://www.todaiji.or.jp/○奈良市観光情報センター http://narashikanko.jp/2010-04-21
石川島灯台跡(佃公園) - 東京都中央区佃1-11 -
高層ビルの立ち並ぶ佃島の一画に建つ不思議な建物は、復元された石川島灯台です。この灯台は、慶応2年(1866)、石川島人足寄場奉行清水純畸(しみずじゅんき)が隅田川や品川沖を往来する船舶航行のために築かせた常夜灯で、六角二層の堂々たる灯台でした。純畸は、寄場の油絞りの益金を割き、人足の手で寄場の南端に築かせました。近在漁師はこの灯台の完成をとても喜んだ といわれています。 人足寄場とは、江戸時代に設けられた犯罪者の更生を目的とした収容施設のことです。寛政元年(1789)火付盗賊改方長官長谷川平蔵宣以(のぶため)が老中松平定信に提案し、寛政2年(1790)に設置され明治維新まで続きました。長谷川平蔵は池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の主人公「鬼平」としてよく知られています。無宿者や軽罪人を収容し、生活指導や職業訓練を施 して自立を支援するなど、再犯を防ぐための取り組みは、当時としては画期的なことでした。 佃島は摂津国西成郡田村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師達が幕府の許可を得て開いた漁村です。正保元年(1644)現在の地に百間四方の土地を埋立て営造し、故郷摂津国の住吉神社をこの地に勧請し、島名を佃島と命名しました。 徳川家康が天正10年(1582)、堺見物の最中、本能寺の変が伝えられ、急遽間道を抜け大坂に向かいましたが、出水のため途方にくれている家康一行に、佃村の庄屋孫衛門が舟を出して助けたため、家康と佃島漁民の間に固い絆が結ばれることになりました。 その後、家康が江戸開府にあたり、佃村の漁師に対する恩賞として幕府の御菜御用を命じ、老中安藤対馬守を通して出府を促し 、慶長18年(1613)には「網引御免証文」を与え、江戸近海で特権的に漁が出来るようになりました。佃煮(つくだに)といえば、この東京都中央区佃島を発祥とされる海産物の煮物のことですが、佃公園近くには今でも江戸時代 から続く老舗の佃煮屋が数軒営業しています。 さて、間もなく桜の季節がやってきます。佃公園周辺の水辺は、中央区トップクラスの桜の名所で、満開になればかなりの見ごたえがあります。桜の花は隅田川の川面の青によく映えます。通路も広く足場も良く、ベビーカーや車椅子での通行も可能になっています。ゆっくりと桜を楽しみたい方は、一度は出かけてみてください。 桜を堪能したら、佃煮をお土産に買って、おなかが減ったら月島でもんじゃ焼きを食べてみましょう。食べず嫌いな人も多いもんじゃ焼きですが、本場月島のもんじゃはうまさも本物です。写真:2009年04月06日撮影○地図 http://www.its-mo.com/z-128395894-503229498-17.htm○中央区観光協会(東京都) http://www.chuo-kanko.or.jp/2010-03-20
千葉道場 玄武館跡 - 東京都千代田区神田東松下町 -
玄武館は江戸時代の剣術、北辰一刀流の流祖、千葉周作成政が開いた道場です。周作は寛政6年(1794)陸前気仙村(岩手県陸前高田市)で生まれたといわれ、はじめ千葉家伝来の北辰夢想流を学び、後中西派一刀流の浅利義信に入門し、剣術の腕を磨きました。しかし、後に組太刀の改変につき義信と意見が対立したため独立し、新たに北辰一刀流を創始し玄武館を開きました。玄武館ははじめ日本橋品川町にありましたが文政8年(1825)神田お玉ヶ池へ移転しました。千葉道場は合理的な指導法で人気を集め、幕末江戸三大道場の一つに数えられるようになり、「力の斎藤(練兵館)」、「位の桃井(士学館)」とならび、「技の千葉(玄武館)」と称されました。門下に幕臣の山岡鉄舟、浪士組の清河八郎など高名な士も名を連ねています。千葉周作の弟定吉は、京橋桶町に桶町千葉道場(小千葉)を開き、現在の東京駅のそば中央区八重洲2-8(鍛冶橋交差点付近)にありましたが、現在その跡地は定かではありません。千葉定吉の門下生だった坂本竜馬は、土佐藩中屋敷(現在の中央区役所付近)からこの道場へ通いました。竜馬は定吉の娘、佐那子と恋仲だったといわれていますが、そのあたりの物語は「龍馬伝」を見て楽しみましょう。写真:2010年2月18日撮影○地図 http://www.its-mo.com/z-128490949-503199567-18.htm 石碑の場所は学校跡地のため門扉がありますが見学者は門を開けて入れます。○北辰一刀流 玄武館 http://www.hokushin-ittoryu.com/○千代田区観光協会 http://kanko-chiyoda.jp/2010-02-21
五台山竹林寺(重要文化財・名勝) - 高知県高知市五台山3577 -
五台山竹林寺(ごだいさんちくりんじ)は、真言宗智山派の寺院で、四国八十八箇所霊場の内、第三十一番目の札所です。浦戸湾を見降ろす五台山の上に位置し、静かなたたずまいを見せており、ひときわ高い五重塔が目を引きます。本堂をはじめ、数多くの仏像は国の重要文化財に指定されており、庭園は国の名勝に指定されています。開創の縁起は、聖武天皇が唐の五台山に登り、文殊菩薩から教えを授かるという夢をご覧になり、行基に日本国中より唐の五台山に似た霊地を探し伽藍(がらん)を建立するように命じました。そして、土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし開創されたと伝えられています。大同年間(806?809)には弘法大師が当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。 詳しくは五台山竹林寺HPをご覧ください。 五台山は、桜やつつじの名所としても有名です。竹林寺に隣接して、植物学者牧野富太郎ゆかりの県立牧野植物園もあり、高知市の代表的な観光地の一つとなっています。2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」もはじまり、今年は高知県が注目スポットとなっています。海と山に囲まれ東西に長い高知県は、自然が豊かで山海の幸が豊富です。本稿でも過去、高知県関係の記事を下記の通り紹介してきましたが、そちらの項もご覧ください。→ http://www.kakeifu.com/freepage_33_4.html
写真:2006年2月21日撮影○地図 http://www.its-mo.com/z-120755923-480888278-15.htm○五台山竹林寺 http://www.chikurinji.com/○高知市観光協会 http://www.welcome-kochi.jp/ ○大河ドラマ「龍馬伝」 http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/2010-01-20
道後温泉本館(重要文化財) - 愛媛県松山市道後湯之町5−6 -
道後温泉本館は、明治27年(1894)に建てられた温泉共同浴場で、夏目漱石の小説「坊ちゃん」にも登場し「坊っちゃん湯」とも呼ばれています。温泉地の中心に建つ木造三層楼のこの建物は独特なデザインで、建築後百年以上経った今なお、道後温泉と松山市の観光シンボルとなっています。平成6年(1994)には、国の重要文化財に指定され、平成20年(2009)には、経済産業省の 近代化産業遺産にも認定されました。 建物の中には「神の湯」「霊の湯」と呼ばれる大小二箇所の花崗岩造りの浴場や休憩室が設けられており、入浴料によりサービスに差があります。 また、日本で唯一皇室専用の湯殿「又新殿 (ゆうしんでん)」が設けられており、豪華な造りの浴場などを見学することもできます。 道後温泉の歴史は古く、日本書紀にも登場するわが国最古の温泉といわれています。詳しくは下記のリンクから道後温泉旅館協同組合HPをご覧ください。 道後温泉への交通は伊予鉄道の路面電車で、道後温泉駅で下車するのが便利ですが、左写真のような「坊ちゃん列車」も運行しています。運行ダイヤは伊 予鉄道HPでご確認ください。 写真:2008年12月04日撮影 ○地図 http://www.its-mo.com/z-121855230-478040110-17.htm ○道後温泉旅館協同組合 http://www.dogo.or.jp/ ○伊予鉄道/坊ちゃん列車に乗ろう http://www.iyotetsu.co.jp/botchan/index.html 2009-12-21
秋山兄弟生誕地 - 愛媛県松山市歩行町2-3-6 -
秋山好古(あきやまよしふる)、秋山真之(あきやまさねゆき)は、松山藩士・秋山久敬の子として誕生し、共に日露戦争(1904-1905)で活躍した軍人です。 兄好古は陸軍で騎兵を率い、満州の原野で強敵ロシア軍と戦い、後に「日本騎兵の父」と呼ばれるようになりました。 弟真之は海軍で連合艦隊司令長官東郷平八郎の作戦参謀として活躍し、日本海海戦ではバルチック艦隊を撃滅する功績をあげました。名文家としても高く評価されており、日本海海戦出撃時の電報文「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」や、Z旗の信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」などは今日でもよく知られています。 この秋山兄弟や俳人・正岡子規を主人公にして書かれた長編小説「坂の上の雲」は、司馬遼太郎の代表的作品ですが、この小説を原作としたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が、この秋放映(第1回は2009年11月29日 20:00?)されます。愛媛県や松山市ではドラマにあわせて観光PRに努めており、松山はこの秋注目すべき観光地の一つとなるでしょう。 秋山兄弟生誕地は、松山市の中心部に位置します。松山城、坂の上の雲ミュージアム、子規記念博物館、道後温泉本館なども近くですから、市内観光とあわせてお立ち寄りください。写真:2008年7月18日撮影 ○地図 http://www.its-mo.com/z-121820801-477986930-18.htm○秋山兄弟生誕地 http://www.akiyama-kyodai.gr.jp/ ○松山観光コンベンション協会 http://www.mcvb.jp/ ○NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 http://www.nhk.or.jp/sakanoue/2009-11-20
日本鉄道最高地点−JR小海線 −長野県南佐久郡南牧村野辺山−
JR小海線は、山梨県 小淵沢駅(北杜市)から長野県 小諸駅(小諸市)まで、総延長78.9Kmで結んでいます。この鉄道は標高1000mの高地を走る高原鉄道で、清里駅と野辺山駅の間で標高1375mの日本鉄道最高地点を通過します。ここは観光スポットとしても知られており、写真のように大勢の人々が訪れます。 小海線は、大正4年(1915)小諸−中込間で開業した佐久鉄道により計画されましたが、国鉄が小淵沢−小海間の建設を進め、佐久鉄道から買収し国有化した区間と合わせ、昭和10年(1935)に全線が開通しました。2007年には、世界初のハイブリッドシステムによる新型車両「こうみ」が営業運転しており、鉄道ファンをはじめ、内外の注目を集めています。 小海線の走る八ヶ岳山麓には、観光地として有名な清里高原が広がります。八ヶ岳や南アルプスなど中部山岳の険しい山々と、緩やか高原、牧場、森などの織りなす、四季折々の素晴らしい景色がこの地域の魅力となっています。ちょうど、この地域は山梨県と長野県の県境でもあり、清里は山梨県北杜市、野辺山は長野県南牧村(みなみまきむら)です。 写真上:日本鉄道最高地点 2009年4月23日撮影 写真下:東沢大橋‐八ヶ岳高原ライン 2008年10月17日撮影 ○地図 http://www.its-mo.com/z-129390863-498445032-13.htm ○清里観光振興会 http://www.kiyosato.gr.jp/ ○八ヶ岳野辺山高原カントリーライフ http://www.minamimaki.or.jp/ 2009-10-20
馬籠宿 ‐ 中山道 −岐阜県中津川市馬籠−
馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道の宿場で今なお往時の面影が残されています。中山道には69宿があり、そのうち木曽には11の宿場がありました。馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目の宿場になり、江戸からの距離は83里(332km)あります。急な山の尾根にそって設けられているため、坂道の両側に石垣を築いて屋敷が建てられ、独特の風情があります。 中山道は、江戸時代に入り、江戸幕府により五街道のひとつとして整備され、東海道と並び江戸と京都を結ぶ重要な幹線道路でした。東海道より距離は26km程長いですが、東海道は大井川の川止めや、桑名宿宮宿間七里の渡で海難の危険があり、中山道はそのようなおそれはありませんでしたが、山中を行くためその険しさが旅人を阻んだといわれています。 明治中期以降、鉄道網の発達により、街道としての役割は衰退していきましたが、急速に開発された東海道沿線と異なり、中山道沿線では江戸時代の街道や宿場が比較的良く保存されて来ました。 今は、観光地として整備され、大型観光バスが往来し、道も石畳風に整備され誰でも気軽に訪れることができます。ただし、坂道は昔のまま急峻ですから、一汗かくことは覚悟しましょう。 写真上:清水屋資料館前の石畳 写真下:枡形・水車小屋 ○地図 http://www.its-mo.com/z-127882297-495251219-14.htm ○木曽馬篭 http://www.kiso-magome.com/index.html ○中津川市観光なび! http://n-navi.info/index.php
2009-09-19
上田城跡 (国史跡) −長野県上田市二の丸−
上田城は、武田氏の旧臣真田昌幸が天正11年(1583)に築城した城です。上田城が築かれる前、真田氏の本城は上田市上野の砥石城だったと考えられています。上田城築城にあたっては越後の上杉景勝は築城を妨害しています。上田城と真田氏の名は、天正13年(1585)と慶長5年(1600)の二度に亘り、徳川の大軍を退けたことで有名になりました。二度とも巧みな駆け引きで徳川方に大損害を与えましたが、慶長5年の戦いでは中山道を関ヶ原へ向かう徳川秀忠の軍勢を上田城に釘付けにし、徳川軍の主力が関ヶ原の合戦に遅参する結果となりまし た。 関ヶ原合戦の後、昌幸、二男幸村父子は高野山に蟄居となり、上田城は徹底的に破却されましたが、その後、徳川方に味方した昌幸嫡子信之に与えられ、信之が元和8年(1622)松代に転封された後、小諸城から仙石忠政が入城し、宝永3年(1706)仙石氏が但馬出石城に転封となり、松平氏が入城、明治の廃藩置県まで存続しました。 上:南櫓(右)と西櫓(長野県宝)下:東虎口櫓門 ○地図 http://www.its-mo.com/z-135112027-499695188-14.htm ○信州上田観光情報 http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20100205184929576.html 2009-08-20
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