|
戦国時代最強といわれた武田軍でしたが、武田信玄の死後、跡を継いだ武田勝頼は徐々に求心力を失いました。 やがて織田信長
・徳川家康連合軍に攻められ、韮崎の新府城を捨て、家臣で郡内領主の小山田信茂を頼り、大月の岩殿城へ向かいましたが、笹子峠で信茂の謀判に遭い、日川を遡り天目山を目指しました。 しかし、遂に力尽き、天正10年(1582)3月11日、田野の地で悲惨
な最後をとげ、武田家は滅びました。 この年の7月、徳川家康が勝頼主従の冥福を祈るため建立したのが天童山景徳院で、天正16年(1588)に完成しました。
山門の近くに自刃した生害石があり、勝頼(37歳)北条夫人(19歳)信勝(16歳)の墓が並び、更に将兵や侍女の墓があります。 山深い静かな渓谷に建つ禅寺ですが、今でも武田家の往時を偲んで訪れる人は少なくありません。
<勝頼辞世> おぼろなる月もほのかに雲かすみ はれてゆくえの西の山の端
<北条夫人辞世> 黒髪の乱れたる世ぞはてしなき 思ひに消ゆる玉の露の緒
← 左:信勝 中:勝頼 右:北条夫人
○地図 http://www.its-mo.com/z-128295749-499704796-12.htm
○山梨県甲州市観光協会ホーム>甲州市歴史探訪>甲州市内歴史探索マップ>景徳院
http://www.koshu-kankou.jp/history/aera/keitokuin.html
2009-05-20
|