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日本家系図学会

中央区観光協会

平城遷都1300年祭

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江戸城天主台跡  −東京都千代田区皇居東御苑(特別史跡)内−

江戸城天主台 皇居東御苑(特別史跡)内 東京都中央区「天代家系譜」  江戸城本丸天守台は、三代将軍徳川家光のときに建てられた江戸城本丸天守跡です。当時の天守は五層六階、その高さは天守台を含め58mもあったといわれていますが、明暦の大火(1657年)で焼失し、その後再建されませんでした。
 天守台は、皇居の東側に位置する皇居東御苑の中にあります。皇居東御苑は、昭和38年(1963年)に特別史跡に指定され、昭和43年(1968年)からは一般にも公開されるようになりました。苑内は広い芝生の庭園や歴史的な史跡も見ることができ、国内外の観光客が多く訪れています。
 入園は無料ですが、休園日は、月曜日・金曜日(天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日」を除く)、年末年始、その他特別な皇室行事のなどのある日です。念のために宮内庁の「休園日カレンダー」でチェックしましょう。

○宮内庁ホームページ http://www.kunaicho.go.jp/

○地図 http://www.its-mo.com/z-128466209-503127404-15.htm

2008-07-07

三田薩摩藩上屋敷跡  −東京都港区芝5丁目7−

三田薩摩藩上屋敷跡 東京都港区芝5丁目7 東京・中央区「天代家系譜」 江戸の薩摩屋敷は上屋敷・中屋敷・蔵屋敷などがありましたが、最も中心的だったのが三田の上屋敷でした。篤姫も二年余りを上屋敷で過ごしたといわれています。
 「薩摩屋敷跡」の石碑は、NEC本社敷地の北側に小さく建てられていますが、当時の屋敷はこの周辺に広大な面積を持っていました。
 現在この付近にはオフィスビルが立ち並び、往時の面影はありませんが、近くには芝公園や増上寺もあり、都会のオアシスとなっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z-128327968-503105620-16.htm

2008-05-16

 今和泉島津家本邸跡  −鹿児島市大竜町−

今和泉島津家本邸跡 鹿児島市大竜町 東京・中央区「天代家系譜」 篤姫が生まれたといわれる今和泉島津家本邸跡は鹿児島(鶴丸)城の東北方向、大竜町にあります。現在、本邸跡には屋敷は残されていませんが、石垣が残されており往時を偲ぶことができます。
 付近には南洲墓地(西郷隆盛のお墓がある)や南洲神社などもあり、鹿児島城下の観光スポットになっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z-113767694-470030758-17.htm

○篤姫観光キャンペーン公式サイト http://www.atsuhime.org/index.html

2008-03-29

 今和泉島津家別邸跡  −鹿児島県指宿市岩本−

今和泉島津家本邸跡 鹿児島市大竜町 東京・中央区「天代家系譜」 薩摩半島の南端にある指宿(いぶすき)温泉は「砂むし」で有名です。島津一門家のひとつ今和泉家は、この指宿温泉より7Kmほど北方の今和泉にありました。
 今和泉島津家別邸(今和泉領主仮屋)は、今和泉家初代忠郷が、宝暦4年(1754)に建てたものです。今は建物はなく、今和泉小学校前の海岸に石垣の一部や松林(隼人松原)、校庭には井戸と篤姫が使ったとされる手水鉢(指定文化財)が残されています。
 今和泉家は、文保2年(1318)第4代島津忠宗の次男忠氏によって、和泉家(出水)として始まりましたが、和泉家五代直久が、応永24年(1417)松尾城(川辺)で戦死し絶家しました。延享元年(1744)に今和泉家として再興され、島津第22代継豊の弟忠郷をもって当主とし一門家に加え、他の一門家(重富家・加治木家・垂水家)とともに重要な役割を担いました。

○地図 http://www.its-mo.com/z-112644570-470156513-17.htm

○いぶすきNET(指宿市観光協会) http://ibusuki.or.jp/

2008-02-07

 八幡原史跡公園(川中島古戦場)  −長野県長野市小島田町−

八幡原史跡公園(川中島古戦場) 長野県長野市小島田町 東京・中央区「天代家系譜」 八幡原史跡公園は、川中島古戦場跡に整備された公園です。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は、千曲川 と犀川の合流する川中島で五次にわたって戦いました。その中でも永禄4年(1561年)に行われた第四次の戦いが最も激しく、双方とも多大な犠牲者を出 し、武田方は信玄の弟の信繁や山本勘助、諸角虎定など、有力な武将が討死しました。武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたという伝説もあり、その姿たが銅像 となっています。


○地図 http://www.its-mo.com/z-131714025-497487132-12.htm

○ながの観光Net http://www.nagano-cvb.or.jp/

2007-12-28

 葛尾城跡  −長野県埴科郡坂城町−

 葛尾城跡  −長野県埴科郡坂城町− 東京・中央区「天代家系譜」北信濃の戦国大名、村上義清は、埴科郡葛尾(かつらお)城を本拠地としていました。
 信濃の 雄として武田信玄の信濃侵攻に立ち向かい、信玄は上田原の合戦で板垣信方、甘利虎泰を、戸石崩れでは横田高松など有力な武将を失いました。しかし、信濃の 豪族が信玄の調略により武田方に寝返ると、孤立した義清は葛尾城を捨て、越後春日山城の長尾景虎(上杉謙信)を頼りました。信濃の豪族が景虎を頼ったこと が、長期にわたる川中島の戦いの原因になったといわれています。
 葛尾城跡は標高805m、現在は千曲川を見渡せるハイキングコースとなっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E138.10.41.458N36.28.23.103&l=7

○坂城町 http://www.town.sakaki.nagano.jp/

2007-07-09
 

 信玄棒道  −山梨県北杜市小淵沢町−

信玄棒道  −山梨県北杜市小淵沢町− 東京・中央区「天代家系譜」信玄棒道は、武田信玄が信濃攻略のために作った軍用道路です。甲斐の府中と信濃を往来する最短の道として、行軍や物資輸送に大きな役割を果たしました。信玄の信濃攻略への意気込みを感ずることができます。
 棒道は上・中・下の三本あったといわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。現在残っているのは上の棒道で、山梨県北杜市長坂町小荒間から小淵沢町の山間部を通り、長野県諏訪郡富士見町へ通じています。
 八ヶ岳山麓の高原地帯を通るこの道は、歴史探訪のコースとして、また、森林浴、バードウォッチングなど、四季折々のハイキングコースとしてもおすすめです。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E138.19.49.77N35.53.21.997&l=8

○こぶちざわどっとこむ http://kobuchisawa.com/walk/singen.html

2007-05-08
 


天代家系譜(てんだい-かけいふ)
〒103-0015東京都中央区日本橋箱崎町32-3-1004
【お客様専用ダイヤル】 0120‐970‐497
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