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三田薩摩藩上屋敷跡  −東京都港区芝5丁目7−

三田薩摩藩上屋敷跡 東京都港区芝5丁目7 東京・中央区「天代家系譜」 江戸の薩摩屋敷は上屋敷・中屋敷・蔵屋敷などがありましたが、最も中心的だったのが三田の上屋敷でした。篤姫も二年余りを上屋敷で過ごしたといわれています。
 「薩摩屋敷跡」の石碑は、NEC本社敷地の北側に小さく建てられていますが、当時の屋敷はこの周辺に広大な面積を持っていました。
 現在この付近にはオフィスビルが立ち並び、往時の面影はありませんが、近くには芝公園や増上寺もあり、都会のオアシスとなっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z-128327968-503105620-16.htm

2008-05-16

 今和泉島津家本邸跡  −鹿児島市大竜町−

今和泉島津家本邸跡 鹿児島市大竜町 東京・中央区「天代家系譜」 篤姫が生まれたといわれる今和泉島津家本邸跡は鹿児島(鶴丸)城の東北方向、大竜町にあります。現在、本邸跡には屋敷は残されていませんが、石垣が残されており往時を偲ぶことができます。
 付近には南洲墓地(西郷隆盛のお墓がある)や南洲神社などもあり、鹿児島城下の観光スポットになっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z-113767694-470030758-17.htm

○篤姫観光キャンペーン公式サイト http://www.atsuhime.org/index.html

2008-03-29

 今和泉島津家別邸跡  −鹿児島県指宿市岩本−

今和泉島津家本邸跡 鹿児島市大竜町 東京・中央区「天代家系譜」 薩摩半島の南端にある指宿(いぶすき)温泉は「砂むし」で有名です。島津一門家のひとつ今和泉家は、この指宿温泉より7Kmほど北方の今和泉にありました。
 今和泉島津家別邸(今和泉領主仮屋)は、今和泉家初代忠郷が、宝暦4年(1754)に建てたものです。今は建物はなく、今和泉小学校前の海岸に石垣の一部や松林(隼人松原)、校庭には井戸と篤姫が使ったとされる手水鉢(指定文化財)が残されています。
 今和泉家は、文保2年(1318)第4代島津忠宗の次男忠氏によって、和泉家(出水)として始まりましたが、和泉家五代直久が、応永24年(1417)松尾城(川辺)で戦死し絶家しました。延享元年(1744)に今和泉家として再興され、島津第22代継豊の弟忠郷をもって当主とし一門家に加え、他の一門家(重富家・加治木家・垂水家)とともに重要な役割を担いました。

○地図 http://www.its-mo.com/z-112644570-470156513-17.htm

○いぶすきNET(指宿市観光協会) http://ibusuki.or.jp/

2008-02-07

 八幡原史跡公園(川中島古戦場)  −長野県長野市小島田町−

八幡原史跡公園(川中島古戦場) 長野県長野市小島田町 東京・中央区「天代家系譜」 八幡原史跡公園は、川中島古戦場跡に整備された公園です。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は、千曲川 と犀川の合流する川中島で五次にわたって戦いました。その中でも永禄4年(1561年)に行われた第四次の戦いが最も激しく、双方とも多大な犠牲者を出 し、武田方は信玄の弟の信繁や山本勘助、諸角虎定など、有力な武将が討死しました。武田信玄と上杉謙信が一騎打ちをしたという伝説もあり、その姿たが銅像 となっています。


○地図 http://www.its-mo.com/z-131714025-497487132-12.htm

○ながの観光Net http://www.nagano-cvb.or.jp/

2007-12-28

 葛尾城跡  −長野県埴科郡坂城町−

 葛尾城跡  −長野県埴科郡坂城町− 東京・中央区「天代家系譜」北信濃の戦国大名、村上義清は、埴科郡葛尾(かつらお)城を本拠地としていました。
 信濃の 雄として武田信玄の信濃侵攻に立ち向かい、信玄は上田原の合戦で板垣信方、甘利虎泰を、戸石崩れでは横田高松など有力な武将を失いました。しかし、信濃の 豪族が信玄の調略により武田方に寝返ると、孤立した義清は葛尾城を捨て、越後春日山城の長尾景虎(上杉謙信)を頼りました。信濃の豪族が景虎を頼ったこと が、長期にわたる川中島の戦いの原因になったといわれています。
 葛尾城跡は標高805m、現在は千曲川を見渡せるハイキングコースとなっています。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E138.10.41.458N36.28.23.103&l=7

○坂城町 http://www.town.sakaki.nagano.jp/

2007-07-09
 

 信玄棒道  −山梨県北杜市小淵沢町−

信玄棒道  −山梨県北杜市小淵沢町− 東京・中央区「天代家系譜」信玄棒道は、武田信玄が信濃攻略のために作った軍用道路です。甲斐の府中と信濃を往来する最短の道として、行軍や物資輸送に大きな役割を果たしました。信玄の信濃攻略への意気込みを感ずることができます。
 棒道は上・中・下の三本あったといわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。現在残っているのは上の棒道で、山梨県北杜市長坂町小荒間から小淵沢町の山間部を通り、長野県諏訪郡富士見町へ通じています。
 八ヶ岳山麓の高原地帯を通るこの道は、歴史探訪のコースとして、また、森林浴、バードウォッチングなど、四季折々のハイキングコースとしてもおすすめです。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E138.19.49.77N35.53.21.997&l=8

○こぶちざわどっとこむ http://kobuchisawa.com/walk/singen.html

2007-05-08
 

 武田神社[躑躅ヶ崎館跡](国指定史跡)  −山梨県甲府市古府中町−

武田神社[躑躅ヶ崎館跡](国指定史跡)  −山梨県甲府市古府中町− 東京・中央区「天代家系譜」武田神社は、大正8年(1919)武田氏の居館であった躑躅ヶ崎館跡に創建され、名将武田信玄がまつられています。
  躑躅ヶ崎館は、信玄の父信虎が永正16年(1519)に石和より移し、信虎・信玄・勝頼の三代約60年にわたり居住しました。躑躅ヶ崎館は平城ですが、館 の北方の山には、信玄生誕の地として伝わる要害山城(積翠寺城)が築かれていました。館跡には、土塁・堀・石垣等の遺構があり、昭和13年(1938)国 の史跡として指定されました。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E138.34.50.01N35.41.0.483&l=10

○武田神社ウェブサイト http://www.takedajinja.or.jp/

2007-01-08
 

 桂浜 −高知県高知市浦戸−

桂浜 −高知県高知市浦戸− 東京・中央区「天代家系譜」桂浜は、浦戸湾口に弓状にひろがる海岸です。古来より月の名所として知られており、高知県を代表する景勝地のひとつです。
海岸一帯は「桂浜公園」として整備され、土佐闘犬センター、桂浜水族館、高知県立坂本龍馬記念館などがあり、龍頭岬には、幕末に活躍した坂本龍馬の銅像が建てられています。
坂本家は高知城下の豪商(屋号才谷屋)でした。龍馬は坂本家3代目八平直足(養子-白札郷士山本覚右衛門次男)の次男として生まれました。
その家系は、清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家、明智氏の末裔といわれていますが、詳細は明らかではありません。
幕末の風雲児坂本龍馬は今でも多くの人たちに愛されています。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E133.34.41.16N33.29.42.817&l=10

○高知県立坂本龍馬記念館のウェブサイト http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/index.htm

○高知県の観光ガイド よさこいネット http://www.attaka.or.jp/YosakoiNet/index.do

2006-10-28
 

 高知県立牧野植物園 −高知県高知市五台山−

高知県立牧野植物園 −高知県高知市五台山− 東京・中央区「天代家系譜」日本の「植物学の父」と呼ばれた牧野富太郎は、高岡郡佐川町の造り酒屋に生まれました。土佐の豊かな自然の中で独学で植物の研究を続け、95年の生涯のなかで発見し命名した新種や変種は約2,500種、収集した標本は50万点にも及びます。
牧野植物園は牧野富太郎博士を顕彰するために昭和33年に開園しました。園内には、博士が私財を投じて収集した貴重な植物画や直筆原稿などを収蔵した牧野文庫があり、牧野富太郎記念館には、系図も展示されています。また四季折々の美しい花や植物を堪能することが出来ます。

○地図 http://www.its-mo.com/z.htm?m=E133.34.54.086N33.32.37.756&l=10

○牧野植物園のウェブサイト http://www.makino.or.jp/

○高知県の観光ガイド よさこいネット 
http://www.attaka.or.jp/

2006-09-22
 

 野良時計(登録有形文化財) −高知県安芸市−

野良時計(登録有形文化財) −高知県安芸市− 東京・中央区「天代家系譜」安芸市のシンボル「野良時計」は、のどかな田園の一角にあります。明治20年(1887年)、当時の地主畠中源馬が時計の仕組みを学び、部品も全て手作りの櫓時計で、百年以上たった今も時を刻み続けています。
 安芸の町には、土居廓中など、藩政時代からの武家屋敷が、今なお残されています。山内一豊が土佐藩主となると、家老五藤氏が安芸に館をかまえ、この地を治めました。


○安芸市紹介のウェブサイト http://www.city.aki.kochi.jp/oldhp_kai/public_html/index.html

2006-06-11
 


天代家系譜(てんだい-かけいふ)
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